富陽の美しさ、山水は外、人文は内包。世界的に有名な絵「富春山居図」の原型として、富陽は山水の美しい景色の持続的な滋養の下で、「江、絵、紙、人、城」という独特な文化ラベルを形成した。
瓦窯里遺跡の発見は、富陽の人類居住の歴史を6000年前に押し上げた。富春江は「漁業文化」を育み、後漢の厳光は富春江のほとりに隠居し、その後、歴代の文人が名声を慕って来て、富春江は中国文人の心の聖地となった。北宋熙寧年間、蘇軾は杭州通判に任ぜられ、常に杭州と富陽を行き来し、富陽に多くの詩を残した。他にも数えきれない詩人、作家が作品を残し、富春江は詩路文化帯のまばゆい真珠となった。南宋が臨安を都と定めたことに伴い、多くの望族が富陽に移住し、宋文化もその時から富陽の隅々まで浸透してきた。元代の画家黄公望がここに連なる秀麗な風景は、世に類を見ない大作「富春山居図」を生み出し、この絵は地元の自然を描き、富陽の文化や歴史も描いていた。