梅家塢村は西湖景観エリアの西の後背地にあり、梅霊南路の両側に沿って広がっている。奥行きは十里余りで、旧村、新村や小牙塢などの小さい村からなる。 村全体が緑の山と小川のせせらぎに囲まれた場所だ。
梅塢春早
この村の入り口には「梅塢春早」と刻まれた石碑亭がある。ここから上に登ると、最も高い龍井茶園まで行ける。途中の景色は壮大で、西湖の山々を一望でき、段々畑の龍井茶園も梅家塢村全体も見ることができる。
周恩来総理記念室
周総理は視察と調査研究のために5回にわたって梅家塢を訪れ、全国の農村作業を指導する窓口の一つにしていた。1991年、住民は自ら資金を調達して「周恩来総理記念室」を建設し、当時の歴史的資料、写真、実物資料などを展示している。
十里锒铛
ここは、以前は天竺、霊隠、龍井、雲栖、九渓、梅家塢、五雲山を結ぶ近道で、入り口は梅家塢にあった。 元々は焼香客たちが往来し踏み固められてできた山道だったが、現在は石畳の遊歩道になっており、「十里琅珰」とも呼ばれ、非常に有名である。
乾隆遺跡
言い伝えによると、乾隆帝がかつて梅家塢村の朱家里を訪れた時、空腹に耐えかねていると、一人の農婦が見返りを求めることなくもてなした。 乾隆皇帝は梅家塢の村人が素朴で正直であると感じ、その農婦に厚い恩賞を授けた。その後、金の扁額と鉤のついたてんびん棒が村人の親切さともてなしの象徴となった。
大樹記
梅家塢村の朱姓の家は、富陽の鶏籠山一帯から転居したと言われている。 朱家里にある2本の木は、朱姓の家が転居した時に植えられたもので、800年以上の歴史がある。
中ソ友好茶園
1957年4月、周総理はソ連代表団一行に同行して梅家塢を訪れ、周総理と団長の二人はここの茶畑で茶摘みを楽しんだ。 その後、二人が摘んだ茶樹は「中ソ友誼茶」と呼ばれ、茶園も「中ソ友好茶園」と呼ばれるようになった。