「陌上花开,可缓缓归矣」。この言葉の意味は「畑の花が咲いているから、あなたがゆっくり帰ってくるのを待っていてもいい」。ロマンチックな愛の名句の一つとして中国ではよく知られている。そして、この言葉は呉越の創建者 銭鏐が妻に書いたものである。
荘穆夫人呉氏は毎年の寒食節に実家に帰省し、途中険しい山を越える必要があり、道端は崖と激しい川であった。銭鏐は妻の安全を心配していたが、後に平坦な道を作るよう命じ、両側に手すりを設置した。
銭鏐は感情を大切にする人で、複数の妻妾がいるが、彼が一番愛しているのは最初に結婚した呉氏。呉氏が実家に帰って久しいと、彼は手紙を出して送った。内容は基本的に妻への思いや挨拶、さらには早く帰ってくるよう促す手紙もあった。
ある日、杭州で国家事務を処理していた銭鏐は、鳳凰山と西湖の至る所に花が咲いているのを見て、実家に帰って何日も経った妻を思い出した。妻への思いが抑えきれず、すぐに手紙を書いた。
「陌上花开,可缓缓归矣」。
この手紙には9文字しかないが、そこに込められた強い感情に妻は感動して涙を流した。
このことが伝わり、すぐに呉越の美しい話となっていた。庶民はそれを口ずさみや歌謡に編んで、『陌上花』と名付けられて百年以上も伝わってきた。
北宋の文学者 蘇軾は九仙山を遊覧していた時、『陌上花』を聞いて感銘を受け、『陌上花三首』の詩を書いた。1番目の詩は『陌上花』について概説し、2番目の詩は呉氏の帰郷を描い、最後の詩は呉越が南宋の領土に併合されたことを感嘆した。『陌上花三首』は呉越の盛衰を委宛に語って、世の栄華が煙のように一瞬にして消え去ることに感嘆した。詩の言葉は上品で、奥深い意味があり、さすが感動的な作品。