銭王伝説は呉越の国王・銭鏐の生涯に基づいて派生した民間伝説で、昔から中国呉越地方(江蘇省の南、上海市、浙江省、安徽省の南、江西省の北東)に広く伝わっている。
銭鏐(852年-932年)、杭州臨安県の出身、彼は文化的にも軍事的にも非常に優れていた。銭鏐は貧しい出身で、後に食塩の密輸で金持ちになり、唐の末期には藩鎮の統率者となり、蘇南・浙江東・浙江西一帯を占拠した。907年の5月に後梁より呉越王に封じられ、国を建て、銭塘を国都とした。最初、彼は唐哀帝の年号「天佑」を使い、翌年には年号を「天宝」に改めた。銭鏐が「魚と米の里」太湖流域、「人世の天国」蘇州・杭州の基礎を築いた。
銭鏐の生涯、銭鏐の知恵と勇敢さ、銭鏐が立てた功業、銭鏐が悪を追い払うこと、銭鏐が庶民を愛すること、宋の皇帝が銭鏐と子孫に冊封した語……伝説の内容はさまざまである。宋の文瑩『湘山野録』・林禹『呉越備史』・畢仲問『幕府燕閑録』・潜説友『咸淳臨安志』、元の盛如梓『庶斎老学叢談』・劉一清『銭塘遺事』などの地方誌には関連する伝説が記載された。銭鏐が活動していた土地のほとんどに彼の伝説が伝わっていると言っても過言ではない。他にも多くの地名、地方の風物や風俗も銭王に関連している。
銭王伝説は銭镠の優れた人柄と偉大な功績を全面的に示して、昔からの人民の彼に対する理解・見方・感情が凝集して、人民の素朴でユニークな観点と審美を反映している。
唐末から始まり、銭王伝説は今まで1000年以上の歴史を持っている。その内容は政治、経済、文化、宗教、教育などの諸方面をカバーし、呉越の研究に重要な役割を果たしている。また歴史学、民俗学、社会学、文学、芸術などの学術にとっても重要な参考となっている。
2011年、銭王伝説は国家級無形文化遺産に登録された。