杭州の変遷を記した直紫城巷


中英法日【02.26-03.01】直紫城巷,城市变迁中的文化守望者_副本.jpg


紫城巷の歴史は南宋にさかのぼることができ、当時はこの一帯に製紙の工房が分布していたことから「紙成巷」または「紙陳巷」と呼ばれていた。元代になると、仁政を主張した何宗実がここに住んで、彼はひげをたくさん生やしていたが、人々はそれを「何ひげ巷」と改称した。近代において、地名は「紙陳」の発音から「紫城」に変わり、2つの路地が交差して構成された。民国時代には南北方向の路地を直紫城巷、東西方向の路地を横紫城巷と呼んだ。


古めかしい直紫城巷は西湖通りと南山路の交差点に位置し、西湖に隣接している。路地の幅の差は3.5メートルもなく、両側の民家は伝統的な建築様式で、石畳の道に雨が降って小さな水たまりができ、江南水郷の雰囲気がはっきりしている。直紫城巷は確かに紫と密接に関係し、藤は大小の棚の上で勝手に生えていて、紫の花はきれいなだけでなく、淡い香りが漂っている。


直紫城巷36号は民国に建てられた別荘である。かつて別荘の隣には浣紗河があり、あの時は得難い豪邸だった。その後、都市建設の発展に伴い、浣紗川は埋め立てられ、周辺も雑踏の住宅地になりつつあったが、別荘全体はそのまま保存されている。


別荘は2階建てで、別荘は2階建てで、西洋建築の様式を参照して、角のところを巧みに六角形に設計するのはとてもユニークである。黄色の外壁は明るく温かみがあり、見ているだけで気持ちがいい。


現在、杭州の歴史的な証拠となった別荘は直紫城巷のハイライトで、多くの人が訪れている。ここでは、民国時代の杭州建築スタイルを味わい、当時の生活の情緒と審美を感じることができる。