府前街、古今が織りなす絵


中英西日韩【01.29-02.02】府前街,古今交织的历史画卷_副本.jpg


大通りや路地では数世代にわたる杭州市民の記憶。南山路一帯は長い歴史に満ちて、その東の呉山、清波門はかつて古代の行政の中枢で、役人や金持ちの住宅地でもあった。そのため、南山路の周囲には今も将軍路、紅門局、三衙前、都司衛、府前街などの古めかしい地名が残っている。


府前街は清波街の中段から、河坊街の西まで、長さ60メートル、幅5メートル。このいわゆる府はどこか。どんな政府機関だったのか。


杭州の名は隋の開皇9年に始まり、最初の政府中枢は余杭にあり、翌年銭唐県に移り、鳳凰山に設立された。南宋が杭州に都を定めた後、鳳凰山一帯は宮殿となり、臨安府は政府中枢として1130年に清波門の北に移った。その後、元、明、清の3つの王朝を経ても住所は変更されず、その歴史は780年に達した。


現在の府前街はもはや政治や経済の中心ではなく、その歴史と文化は杭州の貴重な財産となっている。府前街の建築スタイルはユニークで、水郷の優雅さもあれば、上流社会の荘重さもある。ここでは、本場の杭州料理や各地のグルメを楽しむことができる。また、さまざまな手工芸、民芸など伝統的な文化が観光客に多彩な魅力を与えている。