浙江省は銭塘江で名づけられ、浙江省の勇敢で向上心のある優れた精神は「弄潮精神」と呼ばれ、この土地に深く埋められた精神と力である。
昔から今まで、毎年銭塘江の海嘯は数え切れないほどの人を引きつけてこの「天下に珍しい雄大な景色」を味わってきる。これにより歴史の長い習慣も形成された。
唐から多くの勇敢な人が川に飛び込んで大波に直面し、古代中国の独自のウォータースポーツ&エクストリームスポーツである「弄潮」を形成された。
「弄潮」の伝承
潮神信仰は銭塘江流域に源を発し、初期の弄潮は潮神の祭祀と密接な関係があった。その後の発展の中で徐々に祭祀から離脱していった。
明の田汝成の『西湖遊覧誌』には弄潮が記され、「川に瀕している人は、波をひっくり返すのが好きで、弄潮と言っています」。
当時、弄潮に従事していた人は「弄潮児」と呼ばれ、呉越、特に銭塘江下流の地域の出身者が多かった。これらの地域の住民はほとんど一生水から離れられず、彼らは日常的な労作で水の中で行動する優れた腕前を身につけた。初期の司祭もプロの弄潮児もそうだ。
総じて言えば、弄潮児は江南地域の社会底辺の男性だ
「弄潮」のルール
唐の李吉甫は「弄潮」という言葉を最初に提起したとされて、南宋の周密は『武林旧事』で初めて弄潮の詳細を詳しく述べた。淳熙十年(西暦1183年)の8月18日は、年に一度の潮神の誕生日で、当日は軍事演習だけでなく、銭塘江の海嘯を祭る儀式も欠かさなかった。弄潮はすでに競技ではあるが、「神を敬う」性質があることがわかる。
弄潮は古代中国のサーフィンと言え、難易度と危険度がさらに高く、腕前、勇気、持久力が非常に試された。記載によると、大きな旗や傘(バランスを保ち、観賞性を高める)を手にして波に向かって泳ぐのが基本となっている。また、手に物を持っていない場合は、列を作って波の中で泳ぎを競っていることである。毎回参加する選手は少なければ数十人、多ければ百人余り。
弄潮は歴史の中に消えてしまったが、浙江人は先人の精神を受け継ぎ、別の形で続いていって、「弄潮児」は新時代にもより広く生き生きとした内包を与えられている。