『夢渓筆談』:中国の科学技術史のマイルストーン


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宋は古代中国の科学技術の「黄金時代」とされて、よく知られた四大発明の火薬、羅針盤、活版印刷は宋に登場した。宋にも多くの傑出した科学者が現れ、沈括はその中で最も重要な代表の一つで、彼は生涯科学研究に志し、多くの分野で優れた成果を上げ、「中国科学技術史の中で最も優れた人物」と誉められる。


沈括は宋の天聖9年(西暦1031年)杭州銭塘県の沈氏家族に生まれた。沈括は幼い頃から勤勉で勉強が好きで、役人の父と一緒に各地を遊歴し、広い世界は沈括に自然の不思議を見せ、彼の科学に対する深い興味を引き起こした。32歳の時、沈括は揚州司理参軍に就任し、司法や訴訟を司る役人としては、鋭い洞察力はもちろん、一般人の日常にも深く入り込む必要があり、どこまでも沈括が見てきた抜群の人や出来事を記録した。そのため、彼は王安石に重んじられ、当時の変法と改革の重要な人物となった。


沈括は文学にも兵法にも造詣ができた。彼はかつて延州知州を務め、西夏を防ぐために国境に駐屯していた。彼は多くの著作を創作したが、その中で最も有名なのは『夢渓筆談』である。『夢渓筆談』の内容は豊富で、歴代の科学的成果を集中し、中国ひいては世界で重要な地位を持っている。


「夢渓」は沈括が晩年住んでいた夢渓園に由来し、現在の江蘇省鎮江市にある。彼は自分の在職中のノートを細かく選んで整理し、随筆集にまとめて出版したので、「筆談」とも呼ばれる。


『夢渓筆談』は「筆談」「補筆談」「続筆談」の3つの部分を含み、鋼の鍛造法、透光鏡及びその他の銅鏡の性能、羅針盤の取り付け方法、医薬に関する論述など多くの宋の科学的成果を記録した。沈括は繊細な文字で読者に宋の科学技術の発展を描き出し、当時の世界で宋の科学技術がリードしていたことを明らかにした。


浙江省東を視察した際、沈括は雁蕩山のなんとも言えない壮観な地形を見て、「雁蕩山の形成は浸食に由来」と推論した。この観点は現代の地質学理論と完全に一致する。彼も世界で最初に実験を通じて「地磁気の南北極と地理の南北極に一定の偏差がある」ことを証明し、コロンブスが大西洋を横断した時に発見されたのより400年以上も早い。


『夢渓筆談』の中には杭州の繁栄、当時の傑出した科学技術と人材を記録した多くのページがある。例えば、畢昇が活版印刷を発明したことが記載されており、活版印刷の発明と応用に関する世界最古の信頼できる記載である。『夢渓筆談』には古代の建築家である喩皓の『木経』も抜粋されており、『木経』の正本はすでに散逸しているため、沈括の記述は間違いなくかなり珍しい。


随筆集として、沈括は『夢渓筆談』にも多くの奇妙な事件や噂を記録しており、一部の内容は超自然事件とも言える。


『夢渓筆談』は古代中国、特に北宋の輝かしい科学技術を総括・説明し、極めて高い価値と影響力を持っている。イギリスの科学史家であるジョゼフ・ニーダムは「中国の科学技術史のマイルストーン」と絶賛した。