五柳巷:杭州の昔の記憶


中英日韩【05.15-05.19】杭城记忆五柳巷:河边寻烟柳,小巷访画桥_副本.png


江南地域の古い道路や路地では、白い壁、黒い瓦、精緻な庭が随所に見られる。どこか目立たない隅で、地元で最も生粋の生活シーンに出会うかもしれない。外がどんなに喧騒していても、路地の中は古めかしく静謐である。杭州の五柳巷は以上の特徴を備えた名所である。


残された南宋の跡


南宋、ここに「五柳園」という王家庭園を建設した。『杭州市志』によると、五柳巷は宋孝宗の邸宅で、宋光宗、宋寧宗はここで生まれた。当時、五柳巷には皇族や大臣、貴族がよく行き来し、周辺一帯はにぎやかだった。今は静かな路地だが、依然として古めかしい。


西の城頭巷口はもともと崇新門があった位置で、宋の杭州の正東門だった。もっと早い呉越国の頃は南土門と呼ばれ、海水で塩を作る場所だった。現在、ここには清の末期・民国の初期の建物、1970-1980年代に建てられた民家など、多くの史跡が残されており、杭州の「最も原始的な」路地と言える。


五柳巷はすでに杭州地方の「居住」文化を継続し、杭州清の末期・民国の初期の庶民の日常を集中的に反映する重要な歴史のランドマークである。ここに来ると、南宋の古さ、民国時代の優雅さ、そして現代の温かい日常を感じる。道端には老人が座っておしゃべりをしていることが多いが、若者たちは喫茶店で静かにコーヒーを楽しんでいる。どこも静かで、時間が止まっているようだ。


五柳巷は長い歴史を経て、かつての本当の姿はまだ完璧で、初めて訪れる人には忘れられない思い出があるだろう。


水上バス7号線


隣の東河の上にある東河梅花碑駅という埠頭は、杭州水上バス7号線の駅の一つである。水上バス7号線の船の外形は古代の船を参照し、「最も美しい水上バス」と称賛されている。


宝善橋、菜市橋、斗富橋……途中いくつかの代表的な古い橋を渡り、岸辺の木々に引き立てられて、これらの橋はまるで三次元の水墨画である。操縦士は長年のベテランで、船を穏やかでゆっくりと前進させ、乗客は沿道の景色を心ゆくまで堪能し、思わず南宋に戻ったような錯覚を覚える。川沿いで釣りをしている人もいれば、散歩をしている人もいれば、のんびり日向ぼっこをしているだけの人もいる。


人気観光地の雑踏を避けたいなら、では水上バスに乗ってここをぶらぶらしてみましょう。ゆっくりとぶらぶらしていても、座ってぼんやりしていても、五柳巷では決して焦らなくてもいい。