田舎の古めかしい美しさ


中英法日【4.17-4.21】古韵美景在乡村_副本.jpg


泰峰村:思古山


太陽がまだ完全に昇っていない朝、淡い霧が思古山を覆って、この山は神秘的で幻想的に見える。道に沿って山頂に向かうと、暖かい春風が心地よい。


紫荊村:石盂古道


休みに石盂山に来て山に登るのはいい。山の中の澄んだ空気を吸って、ついでに古い石盂寺を見学する。


石盂山にある石盂寺は漢に建てられ、山に鉢のような洞窟があることから名付けられた。周りの植生は茂っていて、空気がよくて、泉は澄んでいる。特にお寺の近くには奇妙な形の岩や洞窟があり、地元にも関連する伝説がたくさん伝わっている。


楓嶺村:茶野天径


茶野天径は楓嶺村を貫く遊歩道で、沿道には未来科技城、南湖、亀山などの景色が見え、青々とした茶園はさらに魅力的な「看板」である。ここを散歩するのは、気持ちも足取りも楽しい。静かな芝生を探してピクニックをして、頬を渡る風はほのかな香りがして、最高である。


泰峰村:胡氏宗祠


胡氏宗祠の構造は整然として、全体が完全に保存されている。余杭中泰一帯でこれまで発見された用材の最も洗練され、最も精巧な祠堂で、地元の民国時代の祠堂の研究に参考になる。


胡氏宗祠は民国16年(1927年)に建てられ、単庇、1階建ての木造建築で、敷地面積は約400平方メートル。ホールの梁は構造が複雑で立派で、牡丹、鳳凰、雲、建物、人物などの精緻な図案が彫刻された。柱には簡潔な組物が飾られており、柱の先端は象状になっており、吉祥を意味している。


南峰村・洞霄宮


洞霄宮は「天下宮観のトップ」の美称を持って、一生西湖の孤山に隠棲した林逋は「宿洞霄宮」の詩を書いたことがある。


洞霄宮は漢に建てられ、道教の「三十六洞天」の一つとして、かつて嵩山の崇福宮と並んでいた。洞霄宮は漢の元封3年(108年)にさかのぼることができて、もとは大洗洞の前で、唐の弘道元年(683年)に今の遺跡のある位置に移り、当時は天柱観と呼ばれ、光化二年(899年)に再建された。宋の大中祥符五年(1012年)、大臣の陳绕佐はここに泉が湧き、仏光(ブロッケン現象)が現れ、枯れ木が芽生えるという「三つの異象」を宋真宗に報告し、後に宋真宗が「洞霄宮」の扁額を賜った。それから、洞霄宮の名は今に伝えられている。