杭州は2200年以上の歴史の中で、食材の本来の味を重視し、うま味と塩味を統合する杭州料理を形成した。古代の都の歴史的な基礎、有名人のエピソードの加持は、杭州の料理を味わい深くさせた。
東坡肉
東坡肉は杭州の伝統的な名物料理で、主な具材は豚バラ肉、砂糖、紹興酒などを加えてじっくり焼いた肉の角煮。東坡肉は一般的に正方形に切り、色が赤くつやつやし、瑪瑙のように見える。柔らかく、お肉は口の中でとろけるような食感で、脂がたっぷり乗っているが、少しも飽きずにおいしい。
北宋の有名な文学者蘇軾は杭州に勤めていたが、その間に人々を組織して西湖を浚渫し、誰もが彼に感謝していた。春節にはみんなは彼に豚肉と酒をに送った。蘇軾はみんなの感謝を言い逃れするのがきまりが悪くて、すべての肉と酒をおいしい角煮にして、それから使用人を派遣して名簿に従って、一人一人に肉を配った。蘇軾は庶民を心に留めて、みんなは彼をもっと認めて、そこでこの肉料理を「東坡肉」と呼んで、今に伝えている。
叫化童鶏
別名泥焼き鳥と呼ばれ、国内外に知られる杭州料理で、300年以上の歴史があると言われている。鶏全体を羽と内臓を取り除き、調味料に漬けてハスの葉に包み、ハスの葉の外を泥で包み、数時間焼いて完成。鶏肉は柔らかく、汁がたっぷりで食べやすく、味も最高。
昔、乞食が鶏を手に入れたが、調理器具がなかったので、泥で鶏を塗って焼いたところ、意外に美味しかった。その後、この調理法がレストランに伝わり、改良を重ねて今日の叫化童鶏が形成された。
龍井エビ
龍井エビは杭州の伝統的な名物料理で、龍井茶とエビを創造的に融合させた料理。エビは新鮮で柔らかくて、龍井茶の味はさっぱりして、色もきれいで、味はとても調和がとれている。
伝説によると、清の乾隆皇帝は杭州を観光していた時に農家で龍井茶を味わい、その味に深く惹かれ、去る時にそっと龍井茶を持っていった。その後、乾隆皇帝は市内で食事をしていた時、レストランの従業員に龍井茶を淹れてもらい、従業員は隠していた角を見てその客が皇帝であることに気づき、急いで料理を作っている店主に伝えた。店主はそれを聞いて緊張し、料理中のエビにお茶をこぼしてしまった。このミスした料理は意外においしく、皇帝は満足していたが、この龍井エビも杭州の名物料理になった。
1972年、ニクソン米大統領が訪中し、周恩来首相が杭州で接待した。当時の宴会メニューには龍井エビがあった。
西湖ジュンサイのスープ
ジュンサイは杭州西湖の有名な特産品で、ジュンサイを使った「西湖ジュンサイのスープ」は定番の杭州料理の一つである。ジュンサイは緑、鶏肉の千切りは真っ白、スープの全体的な色合いはさっぱりしている。そして、ジュンサイは粘液が豊富で、つるつるとした食感が特別で、砂糖の味がさらに美味しくなる。
西湖でジュンサイが栽培される歴史は古く、明の『西湖遊覧誌』には関連資料が記載された。清の乾隆皇帝は杭州に行くたびに必ずジュンサイのスープを味わうと伝えられている。そして、ジュンサイ関連の成語には故郷を懐かしむ意味があり、ジュンサイには故郷、祖国を懐かしむ深い意味が込められていた。近年、海外から帰国した華僑や故郷を離れた人々は、杭州に来てもこの名物料理を楽しむことが多い。
西湖酢魚
別名「叔嫂伝珍」「宋嫂魚」、杭州の伝統的な名物料理である。まずソウギョを1〜2日飼って餌を与えないことで、魚の生臭さを減らすことができる。調理に砂糖と酢を加えて、魚の色は赤く光っていて、味は酸っぱくて甘いので、カニのような味がする。
清の『二般秋雨庵随筆』によると、西湖酢魚は宋の女性料理人宋五嫂が創始したもので、当時は「宋嫂魚」と呼ばれていた。また、「西湖酢魚」の名称は清代から始まったという。
宋には宋氏兄弟が西湖で魚を捕って生計を立てていた。しかし兄は官舎に迫害されて死に、弟も逃げなければならなかった。弟が家を出る前に、兄嫁は酸っぱくて甘い魚を作って餞別をしてあげた。兄嫁は「魚の甘さと酸味の味は、兄がどのようにして亡くなったのかを決して忘れないようにすることです。将来あなたの生活が良ければ、庶民がいじめられている辛さを忘れないで、私の辛さも忘れないでください」と言った。その後、弟は懸命に努力して朝廷の大臣になり、故郷に帰ってやっと兄の仇を討ったが、兄嫁の行方はわからなかった。偶然、弟は招待されて宴会に出席し、その中の魚料理は当時の兄嫁が作ったのと非常に似ていて、彼は急いで問い詰めてやっと兄嫁がここで使用人をしていることを知って、彼らはついに再会した。
タケノコの油炒め
旬の若タケノコを食材に選び、油や砂糖をたっぷり使った料理。色は赤くつやつやしていて、タケノコの食感は依然としてサクサクして、しょっぱくて甘い味で食べ飽きない。いる。タケノコの油炒めは1956年に浙江省から36の杭州名物料理の1つとして認定され、2012年にドキュメンタリー『舌の上の中国』に収録された。
おすすめレストラン
楼外楼
杭州の楼外楼は、国内外で知られる170年以上の歴史を持つ有名レストランで、美しい西湖沿いの孤山のふもとに位置する。楼外楼は洪瑞堂氏が清の道光二十八年(1848年)に創建し、彼は南宋の詩人である林昇の詩から3つの字を取って、レストランを楼の外楼と命名した。最初の楼外楼は平屋建てで目立たなかった。洪瑞堂氏は経営が上手で、料理の腕もあるし、文人との付き合いを重視していて、楼外楼は当時の文人が西湖を観光する時に一番選んだレストランになった。1926年、店主の後裔、洪順森氏は楼外楼を増築し、屋上展望テラスのある3階建てになり、扇風機や電話を設置し、当時の杭州の近代的な雰囲気のレストランだった。楼外楼はさらに繁盛しており、食事に来た有名人は数えきれないほどいった。
1949年5月、楼外楼は新たな発展期を迎えた。1952年後半になっても、レストランの従業員はまだ14人だった。1955年、楼外楼が公私合营(国家と民間資本の共同経営)を申請して承認され、この百年の老舗はもはや個人の小さな店ではなく、政府と政策の強力な支援を得て、各方面は大いに発展し、特に杭州の伝統的な名物料理を回復する上でさらに成績が上がった。1956年、浙江省人民政府は杭州名物料理36品を認定し、そのうち10品が楼外楼で提供された。1980年、楼外楼は杭州市の体制改革の試行単位に組み入れられた。1983年、楼外楼は請負制度を実施した。1984年、レストランマネージャーの民主選挙が行われた。1999年9 月、レストランは国有法人と企業従業員が共同で株式を保有する多元投資主体の実業有限会社となった
周恩来総理が9回も楼外楼を訪れたことは美談となって、楼外楼ではノロドム・シハヌークなど多くの外国の貴賓を接待したこともある。2016年のG20サミット期間中、楼外楼は外国元首の配偶者の昼食会を引き受けた。今、楼外楼は国内外で有名で、杭州の都市の記憶と記号の一つである。
住所 : 杭州市西湖区孤山路30号
連絡先 : 0571-87969023
皇饭儿
皇饭儿レストランはもともと王潤興と呼ばれ、杭州市の河坊街に位置する。レストランは清の乾隆年間に設立され、歴史が長く、浙江省の老舗で、業界では杭州を代表する杭州料理店の一つと言われている。
乾隆が南下して江南を巡る時、ここで食事をして、とても満足して、「皇飯児」と名づけたと伝えられている。今でも、多くの年配の杭州市民はここに来て酒席を作ったり、客を接待したりするのが好きだ。
住所 : 杭州市上城区高銀街53-57号
連絡先 : 0571-87807768
張生記
張生記レストランは創始者の張国偉によって1988年に創設された。開業初日から、張生記は「杭州料理の文化を伝承し、誠実な経営を続ける」という理念を受け継ぎ、「心を込めてサービスし、経営を革新する」ことを守り、多くの食客のファンと業界関係者の好評を得た。
張生記の看板の「メンマとアヒルの煮物」は、従来の伝統的な調理法に完全に準拠した名物料理で、2012年に杭州市政府貿易局から「杭州市民が最も好きな逸品杭州料理ベスト10」を授与され、中国杭助菜博物館に永住した。
長年の発展の中で、張生記は杭州を本拠とし、香港、北京、上海、南京、蘇州、瀋陽などの都市に前後して相当規模の飲食店18店を設立し、杭州飲食店の代表格となった。また、張生記は「杭州市の有名商標」「杭州商業貿易の特色企業ブランド」「杭州市飲食業名店」「中華飲食名店」などの栄誉を獲得した。
住所:杭州市上城区双菱路77号、慶春東路に近い
連絡先:0571-86026666