清河坊歴史街区


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南宋が杭州に都を定めた後、「前は朝廷、後は市場」「南は宮殿、北は市場」という特別な構図を形成した。店が軒を連ね、商売が絶えず、清河坊は当時最大のにぎやかな市場だった。この一帯は千年の変遷を目撃しており、古いの文化と記憶も残っている。特に夜の明かりが灯り、まるで昔の皇城の下の喧騒とにぎやかさに戻ったようだ。


河坊街と交わる南宋御街は南宋の臨安城の中軸、かつては皇帝が景霊宮に先祖を巡礼するための専用道路であった。沿道にはか政治の中心地もあれば、店が立ち並ぶ市場もあった。復元された南宋御街はすべて青石畳で舗装され、両側には水の音がさらさらと、老舗が集まっており、現代の風貌と相まっている。


勾欄瓦舍


瓦舎は宋代の大都市における歓楽街であり、勾欄は瓦舎に専用に設けられた専用の演出場所で、主に戯曲、雑技、歌曲、踊りを上演していた。考証によると、臨安城内外の勾欄瓦舎は計20カ所余り、例えば衆安橋の北瓦、米市橋下の米市橋瓦、候潮門外の候潮門瓦など、その中で最大規模を誇るのが北瓦だった。