徳寿宮遺跡保護展示工事及び南宋博物院の一期


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徳寿宮はもともと秦檜の旧宅で、後に朝廷から徴収され、宮殿に改造して禅位後の元皇帝をここに住まわせた。当時は「北内」または「北宮」と呼ばれていた。現在は発見された遺跡に基づいて再建が行われて、建築は完全に宋式建築を参照して、杭州に宋の文化を伝承する重要な場所である。


梅花碑


梅花碑は祐聖観路の西側の路地にあり、徳寿宮の梅石園の所在地で、記載によると、園の中で蓮のような形をした太湖石と梅は互いに引き立て合い、とても魅力的だ。明代にその南に碑を設け、『梅石双清図』を刻んだ。清、乾隆が杭州に来た時、この碑を円明園に移し、別の大きな石に同じ内容を編纂して元の場所に残した。そこで梅花碑と名付けられた。