8月3日から8月4日まで、杭州アジア競技大会宣伝イベントは標高2980メートルの「現代の詩の城」「ロマンチックな都」の青海省デリンハ市に来た。江南地域の風情とアジア競技大会の情熱、美しい西子湖から2700キロ離れた巴音河へ、高原は杭州の夏からの風を吹き抜け、ツァイダム盆地には情熱が咲いていた。
山と海を越えた友情
8月4日午前、デリンハ会議センターの柏樹山ホールで、「杭州アジア競技大会のチャンスと挑戦」説明会が始まった。地元の各級部門の指導者、責任者及び住民代表たちは共に赴い、300席以上の座席は満席で、みんなは素晴らしく生き生きとしたアジア競技大会の旅をした。
杭州アジア競技大会組織委員会の後方勤務保障部の丁炯部長はみんなを率い、大会の発展の歴史と杭州は2015年に大会招致に関する仕事を回顧して、大会の美しさと特色を備えた美学や文化を紹介して、最後に大会延期後のさまざまな挑戦への対応について解説した。
デリンハ市教育局の梁さんはこれまでアジア競技大会について少し知っていただけだった。今回の説明会を通じて、彼は大会の歴史、理念、美学、スポーツ競技の精神など内容に対してより深い認識を持ち、収穫が多く、彼も大会にもっと期待している。梁さんは「将来的には杭州のアジア競技大会の要素を私たちの教育に埋め込むことを考えています。アジア大会の理念、スポーツ精神で学生たちを鼓舞します」と言った。
千山は同じ脈から来ており、万水は同源から源を発する。イベントでは、杭州アジア競技大会組織委員会が杭州アジア競技大会テーマ宣伝・青海デリンハ基地に扁額を授けて、アジア競技大会の宣伝を推進する情熱がデリンハ市で持続的に発展している。
アジア競技大会を通じて、山と海を越え、発展を共有。中国電信股份有限公司、浙江長竜航空股份有限公司の労働組合委員会、支付宝(中国)網絡技術有限公司などの代表が説明会で寄付を行った。
特筆すべきは、支付宝(中国)網絡技術有限公司のアジアパラ競技大会のマスコットをイメージしたデジタルライセンス商品の販売所得を青海省の20カ所の障害者リハビリテーション機構にスポーツ器具と装備を寄付した。
手を携えて進む力
説明会後、デリンハ市政府の会議室で講座が開かれ、杭州アジア競技大会組織委員会は現地の機関、企業、事業体の代表を招待した。麗しい江南水郷、広大で壮観な盆地、遠く離れた杭州市とデリンハ市は心を傾けて、アジア競技大会を共同で構築する方法を交流した。
デリンハ(Delhei)とはモンゴル語で「世界」の意味、1988年に中国国務院の許可を得て県級市になり、海西モンゴル族チベット族自治州の州都。今のデリンハ市と杭州市の共通点は多く、「ロマンチックな都」の名に恥じない。
来年9月、杭州市はアジア競技大会を迎える。杭州市の資金、人材、技術、理念とデリンハ市の奮闘、進取、強靭さが集まった時、爆発するエネルギー、驚くべき遷移を生み出す。東部と西部が手を携えて前進し、風に乗って波を打ち破る。双方は「スポーツの大会、都市の大会、ブランドの大会」を堅持し、アジア競技大会の準備のための新しいページを共同で書く。
アジア競技大会がもたらすチャンスで、杭州アジア競技大会組織委員会は大会の宣伝と西部都市支援のさらなる融合を推進する。アジア競技大会を理解し、楽しむことができ、大会がより多くの人々に恩恵をもたらす。
民族融合の美しい将来性
夕方、巴音河のほとりにある海子詩歌館では、子供たちの笑顔に最高の風景があふれていた。モンゴル族、チベット族、トゥ族、漢族の子供たちはそれぞれの民族衣装を着て、杭州アジア競技大会のマスコットを持って、天使のような声で素敵な歌を歌いた。
エソンエルドニーはモンゴル族、西寧市で小学校に通って、8歳。彼の生活は杭州とは非常に遠いが、アジア競技大会が大好きだ。「杭州のアジア競技大会で初めてeスポーツが行われることを知っています。来年は杭州へeスポーツを見に行きたいです」。
チベット族の張万発のチベット語の名前はケサン・ギャツォ、歌を歌う時、彼は姉と一緒にチベット族の伝統舞踊を踊った。彼はマスコットを愛してやまなく、特にその中のチェンチェン(宸宸)、理由は弟の乳名がこのマスコットと同じだからだ。
純真な笑顔、感動的な歌声、活力あふれる民族舞踊、飛びかかってきた情熱はまさに真摯な詩で、現場の一人一人がかなり感動していた。
2022年アジア競技大会の延期による空位期を利用し、大会の宣伝・普及を展開し、大会の文化を伝播する。杭州アジア競技大会組織委員会は指定された支援都市で杭州アジア競技大会宣伝イベントを行っている。湖北省の恩施トゥチャ族ミャオ族自治州、四川省の広元市、四川省のカンゼ・チベット族自治州に続いて、青海省のデリンハ市に来た。今後もより多くの地方・都市でアジア競技大会の宣伝・普及を推進し、共同で新しい発展を計画する。