ウズベキスタンのアムダリヤ川下流のヒヴァオアシスには、西暦4世紀に建てられた古い都市イチャン・カラがある。古代において、ここはシルクロードの重要な都市で、千年の歳月を経て、いつまでも昔の輝きを衰えない。
長いシルクロードは重厚な歴史を残して、中国とウズベキスタンの友情は未来に続く。今のイチャン・カラは両国の友好関係の実証となった。この人類史に名を残した世界遺産から、「中央アジアのスポーツ大国」に足を踏み入れる。
シルクロード沿線の文明間の交流が伝承されている
「ヒヴァを一目見るためだけに、金を一袋出します」この中央アジアの古いことわざは古代のヒヴァの魅力を形容するのに十分である。
「一帯一路」沿線の歴史名城として、ヒヴァの旧市街イチャン・カラは1990年に世界遺産に登録された。2014年、ウズベキスタンと中国は協力してイチャン・カラの保護修復事業を展開することを決定し、主に一部の学院、モスク及び周辺環境に対して重点的な修復と整備をした。5年間の努力を経て、イチャン・カラ双方の協力によって再び活気を取り戻した。
イチャン・カラの神秘を明らかにし、この古代の都市に対する好奇心はさらに深まった。千年の風と砂に吹かれた中に、多くのモスクがたたずんでいる。絵巻物のような砂漠には昔からの商業のにぎやかな光景が記されている。シルクロード沿線の文明間の交流が伝承されている。
今になって、アジア文明を守ることが「一帯一路」の積極的な実践となり、もう一つの文化的な交流——スポーツも歴史の新しい一章に浸透しつつある。
スポーツ交流は両国の友情の新たな絆を築く
スポーツを媒介として多彩な文明間の交流を促進し、中国とウズベキスタンの歴史を書き続ける。
広州市で開催された2010年アジア競技大会期間中、サマルカンドの情熱は面白いランニングに火をつけられ、人々は走りと汗の中で情熱を放ち、喜びを得た。
2019年2月、中国とウズベキスタンはスポーツ交流と協力の強化について深く意見交換し、「中国とウズベキスタンのスポーツ協定」に調印した。
2020年9月、双方は国内オリンピック委員会間の協力に関する了解覚書に調印した。
2021年8月、駐ウズベキスタン中国大使の姜岩氏は文章『スポーツ交流を中国とウズベキスタンの友情の新たな絆に』の中でウズベキスタンが近年スポーツ事業を高度に発展させていって、そして中国とウズベキスタンの主管部門の強力な推進で、双方はスポーツの交流と協力が絶えず深くなっていることに言及した。
このような国際的な連動は、杭州での大会でも伝え続ける。2022年北京オリンピックを振り返り、杭州アジア大会を展望する。中国とウズベキスタンは引き続きオリンピックとスポーツ事業の共同進歩を推進し、スポーツ交流は両国の友情の新たな絆にする。
杭州アジア大会で新成績に期待
ウズベキスタンは「中央アジアのスポーツ大国」と言え、選手たちは多くの国際大会で優れた成績を収め、そして参加する競技も全面的である。
リナ・チェリャゾワは1994年リレハンメルオリンピックのフリースタイルスキー競技の金メダルを獲得し、独立以来のウズベキスタン五輪出場初の金メダルだ。さらに、女子体操競技選手のチュソビチナ、ボクサーのラフマノフ、女子バスケットボール選手のチクホネンコなどの代々の優秀な選手は絶えず新しい成績を作っている。
中央アジアのサッカー強国として、ウズベキスタンのサッカーチームは1994年アジア大会で優勝した。2021年、元サッカー選手のオディル・アフメドフはウズベキスタンのサッカー協会の副会長に正式に選出された。ウズベキスタンは全国の力でサッカー事業を発展させて、もっと長い間にその年の優れた成績を盛り返す決心をしている。
ウズベキスタン選手団はとっくに準備ができていて、2022年アジア競技大会に参加するのを楽しみにしている。選手たちは自分と祖国の栄誉のために戦いたいと望んで、「中央アジアのスポーツ大国」という栄光に満ちた称号の再定義に期待したい。