西泠印社&中国印学博物館所蔵文化財


西泠印社


西泠印社は、杭州市の西湖にある孤山の麓に位置している篆刻を中心とする学術団体である。


西泠印社は清代末期の光緒三十年(1904年)に創立され、中国で歴史もっとも古い学術団体である。国外から行っても、西泠印社はもっとも早く成立した金石学および印について研究し、書画を創作する民間団体である。西泠印社は丁仁、王禔、葉銘、呉隠ら4人の浙江省出身の篆刻家たちより創立し始めた。1913年に開かれた成立大会により正式に結社され、「西泠印社」と命名された。その中から初代社長として、有名な篆刻家であった呉昌碩が推戴された。多くの社員が集まれ、そのうち名篆刻家、書画家、収集家、考古学者などが含まれている。そのため、印社の名が日々広がりつつある。


今日、西泠印社は社員が約380人も集まって、彼らは、中国30近くの省、香港、マカオ、台湾、更に日本、韓国、シンガポールまで、分散している。


西泠印社は西湖の景勝地の孤山の西麓に位置し、国家重点文物保護単位とされている。社内は、明と清の時代の建物や遺跡が多く見られる。園林は精緻優雅で、人文と自然景色がよく融合られ、拱門、柏堂、石刻壁、観楽楼、華厳経塔などは見どころである。


2006年、西泠印社は『中国初の国家レベルの無形文化遺産代表リスト』に入られた。2009年、西泠印社より申請した「中国篆刻芸術」は『人類非物質文化遺産代表作』に入選された。西泠印社は名如く「天下第一印」と世界中に名を誇られている。


中国印学博物館


西泠橋の東に位置する中国印学博物館は、西泠印社が設立した中国初の文献収蔵・文化財展示・学術交流を一体化した印章専門博物館である。博物館の前には高さ4.2メートルの漢代龍印章の形をした標識が立てられて、「天下一の印章」とうたわれている。入り口に掲げられた「中国印学博物館」扁額は、有名な書道家の趙朴初が書いたものだ。


博物館には歴代印章庁、篆刻芸術ホール、書画ホールが設置され、中国の印章と関連する学術の形成と発展を600点余りの貴重な実物で展示している。その中にはめったに見られない秦・漢の印章、明清以来の各巨匠が作った印鑑の実物がある。


また、博物館は西泠印社の既存の文化資源も結合し、国家レベルの庭園式博物館になった。


所蔵文化財


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官印(漢)


中国の古代において、印鑑は前漢に発展した時には用途がさらに広くなり、様々な形式が完備されていた。材質、印鈕、色、印文などに官印の等級が表れた。この時期の官印の様式はバランスがとれて、ふっくらして、印文のレイアウトが整って、端正で立派で優雅な美しさを持った。


前漢の後、王莽は新朝を樹立し、前漢の律法を変革した。このうち、印鑑の官印は五字、六字、七字、九字などのレイアウトに変更されて、書体が整っていて、筆画がまろやかだった。劉秀は後漢を創立した後、前漢時代の制度を回復し、官印も元の様式に戻った。


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少数民族に与えられた官印(晋)


古代の中国では、印鑑は中原の王朝の政治的地位標識とされて、また中原と周辺の少数民族が相互関係を築いた証左であった。


晋の中央政権はかつて匈奴、烏桓、鮮卑、羌、氐など多くの少数民族に官印を与えた。これらの官印は当時の中央政権と各民族の関係を研究する重要な資料で、古代中国の官印システムの独特な一部である。


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璽(戦国)


璽はもともと印章の一種で、始皇帝が六国を統一した後、皇帝の印章を指した。春秋戦国時代は印鑑の繁盛期とされて、地域によって印鑑も非常に多様で、中国印鑑芸術の中の輝かしい歴史である。


戦国の璽の印文は乱れているように見えるが、実際には独特の配列がある。そして様式が豊富で、印鑑の多様な美学を形成し、異なる歴史時期の審美を示している。