【近代】郁達夫故居

リリース時間:2023-02-22 14:00:54

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郁達夫、元富陽県(今の杭州市富陽区)出身、中国の近代の小説家、作家、烈士。日本に留学し、旧第八高等学校、東京帝国大学に卒業した。


郁達夫は文学グループ「創造社」の発起人の一人で、愛国主義作家として、文学の創作と同時に、さまざまな反抗組織にも積極的に参加した。前後して上海、武漢、福州などで抗日宣伝に従事した。代表作は「沈淪」「故都の秋」「春風沈酔の夜」「過去」「遅桂花」「魯迅を懐かしむ」など。


富陽の生家


郁達夫故居は杭州市富陽区の郁達夫公園内にあり、南に面して、清に建てられ、民国時代に修繕された。1997年、郁達夫故居は再建され、元の場所より15メートル南に移転した。ここには郁達夫の生涯紹介、作品、書画、扁額、元の部屋や品物が展示されている。


近年、郁達夫故居は中国華僑国際文化交流基地、杭州市社会科学普及基地、杭州市愛国主義教育基地、杭州市第二教室になった。


住所:杭州市富陽区富春街144号

連絡先:0571-63532789


風雨茅廬


風雨茅廬は郁達夫の杭州にある別の旧居で、杭州市の大学路場官弄に位置し、旧式別荘に属する。


1933年4月、郁達夫と妻の王映霞は上海から杭州に移住した。夫妻が自ら設計・建築し、1936年に中国と西洋の建築様式を組み合わせた別荘を完成した。民国時代の著名な政治家・教育家の馬君武氏は別荘を「風雨茅廬」と名付けた。


郁達夫はここに非常に多くの書籍を所蔵した。宋、元、明、清などの王朝の本は約8000~9000冊、清の詩詞集600冊以上、英国、ドイツ、フランス、日本など外国の書籍約2万冊。杭州に住んでいた時、郁達夫は大量の文章、小説「遅暮」を書いた。1937年、戦争のため、郁達夫と家族は杭州を離れることを余儀なくされた。その後、家屋は日本軍に馬小屋として使われ、すべての書籍が破壊された。


風雨茅廬は正院と偏院に分かれている。入り口は庭の北西にあり、入るとその左右に5、6室の部屋が見える。本館は煉瓦木造で、下には高い台座があり、台座には防湿の穴が設計されが設計され、四方ににセメントの階段を設ける。斜面屋根に黒っぽい瓦で覆われている。


内部の南、東、西に回廊が建って、応接間の周りはまっすぐに伸びた柱で、両側がベッドルーム。南、北には出入りのための門が設けられ、東、西の壁には窓が設けられる。本館の東北の隅には平屋が並び、台所として使われた。正院と偏院は壁で隔てられており、壁の南東に洞門がある。偏院には書斎と客室として平屋が2軒建てられて、西側の壁に近い位置に廊下がある。庭には築山や豊かな植生もあり、環境は静かである。


傑出した新文化運動の先駆者・郁達夫の記念において、風雨茅廬は重要な意義を持って、現在は杭州市市級文物保護単位。


住所;杭州市上城区大学路場官弄63号

連絡先:0571-87986176