呉山廟会


呉山は杭州市の上城区、西湖の南東に位置して、市街地に埋め込まれた南山の一部。呉山は呉越、南宋の文化が集まる場所で、山の中には豊かな文化の痕跡が残っている。たとえば、宋の蘇軾の詩、明の呉東昇が書いた「歳寒松竹」は元の宝成寺近くの「感化岩」に刻まれた。下の崖には宋代の書家ミヒャンの手跡「第一山」が下の崖の上には宋の米芾が書いた「第一山」が見える。旧城隍廟の前に明の徐文長の題詞がある。


呉山で開催される呉山廟会は杭州で規模が最も大きく、歴史が最も長いお祭りで、江南一帯で名声を博してきた。呉山廟会は唐、宋ごろから始まり、明、清の時には最盛期に達した。


明、清の時に、呉山一带はいたるところに店や露店があり、観光客が多いのは数え切れないほどで、とてもにぎやかになった。伍公山から城隍山まで、寺の間を縫う市を構成した。祭りや行事が盛んなので、呉山の上下には占い、曲芸、奇術、手芸、小売り、飲食などの大量の商業が現れてきた。これらの要素が呉山廟会をさらににぎやかにして、当時の人々のレジャーに対する精神的なニーズを十分に満たしていた。


呉山廟会は民国時代に次第に衰退していった。1985年5月、杭州第3回芸術週間で呉山廟会が復活、1992年より不定期開催した。2004年、清河坊歴史街区管理委員会は正式に呉山廟会を引き受け、呉山廟会は良好な発展を続けた。呉山廟会は2008年に浙江省人民政府によって第2ロットの浙江省級無形文化遺産保護リストに登録された。


現在の呉山廟会は毎年2回開催されており、開催時期は春節と10月に分かれて、毎回普通12日ぐらい続く。その間、呉山の山頂や麓では様々なイベントが行われ、賑わいを見せる。呉山廟会のメインイベントは、呉山伍公廟で行われる伍子胥祭祀大典である。近年、祭祀大典にはより多くの漢服、宋文化など、現在流行している伝統文化の要素が溶け込んで、伝播にはライブストリーミングプラットフォームなどのニューメディアが結合される。より多くの若者に呉山廟会のことをもっと知ってもらう。


祭祀大典が終わると、パトロールのチームは清河坊の無形遺産伝承者とともに伝統文化と手芸の展示を行う。観光客は決められたコースに沿ってパレードの列について行くことができ、あるいは古めかしい景色を見ながら、いろいろな店をぶらぶらしたりする。河坊街の宋韻市集には百軒近くの商店が伝統的なアクセサリー、磁器、食べ物など数え切れないほどの美しい商品を持って、本当に目まぐるしい。朱閣舞台では伝統的な戯曲、舞踊、伝統楽器演奏など豊富なパフォーマンスが上演されて、ここで静かに鑑賞するのも素敵である。