塘栖古鎮
古い京杭大運河は、北から南へ曲がりくねっており、きらびやかで多彩なリボンのように南北の大地を繋いでいる。塘栖古鎮は、この京杭大運河の南に位置している。
塘栖古鎮は北宋に建てられ、歴史は今から千年になり、かつて江南で最も豊かな町の一つだった。その独特な水郷の姿、奥深い歴史と文化はかけがえのない貴重な財産である。著名な文学者の豊子恺は「江南の美いし水郷の中で、塘栖は代表的な一つだ」と評した。
塘栖には奥深い歴史と文化があり、歴史上には人材が輩出され、遺跡が多い。広済橋、乾隆御碑、栖渓講舎碑などの建物は古鎮のシンボルで、狭い路地を歩いていると、まるで歴史の中を見物しているような気分になる。
ここの物産も豊富で、その中でビワと絹は古代に貢ぎ物であり、今では国内外で有名になっている。地元の美食の数々はじっくり味わうべき、ご当地グルメの数々はじっくり味わうべきで、お菓子専門の老舗も見逃せない。観光客だけでなく、地元杭州の市民もよく訪れる。
西興古鎮
浙東運河の水位は低く、銭塘江の水位は高く、特に満潮になった後、銭塘江の水位は浙東運河よりはるかに高い。そのため、昔から浙東運河と銭塘江の間は直接航行することができなかった。2つの川が交わる西興古鎮はこの独特な地理的位置で重要な中継所となり、当時はすべての船がここに停泊していたが、西興は急速に発展し、かなりにぎやかで有名な町だった。
繁盛したビジネスは「過塘行」を生み出した。これは旅人や商人の荷物を運ぶ専門の職業で、全盛期には町に70社以上の「過塘行」会社があり、会社ごとに異なる主要な業務があった。同時に、「過塘行」の商売が盛んになったため、飲食、宿泊、小売などの商売も良好な発展を遂げた。
今、西興古鎮に入ると、運河の岸辺に保存されている清の民家が見えて、石積みの桟橋、堤防、橋も古めかしい。西興古鎮は中国大運河のきらきら光る真珠で、昔の繁栄だけでなく、千年の記憶も残っている。古い西興古鎮は歴史が与えた宝であり、人々の心の憧れの土地でもある。
2014年6月22日、中国大運河が世界遺産に登録され、西興古鎮の過塘行埠頭は中国大運河杭州区間の6カ所の遺産の1つになった。
龍門古鎮
龍門古鎮は富春江の南に位置し、富陽区中心部から16キロ離れており、古鎮の後方にある龍門山は富陽山々のトップである。後漢の著名な学者である厳光氏はかつて龍門山を訪れ、「ここの山紫水明は呂梁龍門に勝る」と称賛した。龍門古鎮もこれにちなんで名づけられた。
龍門古鎮には明、清、民国、1960 ~ 1970年代などの異なる時期の古い建物が残っている。これらの建物は今でも全体の構造が完全に保存され、軒を連ねており、古鎮の歴史の縮図である。建築に含まれる歴史と文化の価値は、住民の代々の血脈を流れる不変の精神的基礎である。
水郷の石畳の道は、古い街や路地を蛇行し、朝の霧を帯びて遠くまで続いている。